氏名 | さわ けん (澤 健) |
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生年月日 |
昭和29年(1954年)6月18日 東京生まれ B型 東京の原宿で生まれる。小学校・中学校・高校と東京学芸大学附属の学校に通う。 |
学歴 |
【昭和53年(1978年)】 東京大学工学部土木工学科卒 在学中はアメリカンフットボールのクラブに所属。当時は、ばりばりのスポーツマンでした。 |
職歴 |
【昭和53年(1978年)】 日本国有鉄道に入社 最初の仕事は、上野地下駅から日暮里に抜ける東北新幹線のシールドトンネルの設計を担当。国鉄本社では、常磐線の通勤輸送の改善を担当。特につくばエクスプレスの建設計画に従事した。10年後・20年後の世界を考えて、建設計画を作ることで、長期的にものを見る視点を教えてもらった。国鉄で最後の仕事は、群馬県の渋川保線区区長をさせてもらった。20代で150名の部下を持たせてもらい、人事管理において大変勉強になった。 【昭和60年(1985年)】 関西国際空港株式会社に出向 空港連絡橋の設計・施行管理を担当。運輸省・建設省・大阪府・大阪市等10以上の事業体の方と一緒に仕事をして、様々な事業体の考えがわかった。また、当時の社長のもとに8名程度の若手が集まり、将来のハブ空港として必要な機能を勉強する勉強会にも参加。レポートをまとめて、それが、具体化して、ホテルやデパートができていく経験をした。 その後自分が、企画を行っていくときにいつもこの勉強会の手法を参考にしている。 【昭和62年(1987年)】 JR東日本 国鉄が分割民営化され、関空からJR東日本に戻ることになった。新幹線が直接スキー場に繋がるガーラ湯沢スキー場の企画・建設を担当。サンモリッツ・グリンデルワルド・シャモニー等のヨーロッパの大型スキーリゾートの視察も行った。 【平成2年(1990年)】 JR東日本退職、無職になる。 肩書や社会的な価値観を重視して生きてきた生き方を反省。もう一度 自分を取り戻し、自分の心から本当にしたいことをしようと思い、JR東日本を退職することにした。無職となり、英国を中心に海外にも数か月滞在した。 【平成2年(1990年)】 住友生命保険相互会社に入社 関西国際空港㈱に出向時、妻と一緒に所属した大阪のコーラスグループ(ビーエム混声合唱団)の活動を大切にしたいと考えて、大阪に住むことにした。新聞広告頼りに大阪で仕事を探し、運よく、住友生命の大阪本社に入社できた。最初は不動産部に勤務。社内懸賞論文「表題:介護保険に附帯するサービス」で第3位を取ったことで、保険営業の中心である、営業企画部兼広報部に配置転換になった。このころから介護そのものにも興味を持つようになった。 また、ビーエム混声合唱団は、自分たちが健康になることを大切に考えていたので、空気と水がきれいな場所で練習をしようということになった。当時ダイワハウスが宣伝していた、赤磐市桜が丘地区にコーラスの練習場を合唱団で平成2年に作り、大阪から毎週桜が丘地区に練習にいくことになった。 (平成17年の市町村合併前で赤磐市ができるが、わかりやすく赤磐市と書きます) 【平成14年(2002年)】 赤磐市への移住、きのこ老人保健施設(岡山県笠岡市)への就職 毎週コーラスの練習のため赤磐市に来ているうちに、空気と水がきれいで、 自然環境がすばらしく、岡山市にも近く、とても便利な赤磐市が大好きになり、 赤磐市に永住することにした。 仕事は住生で関係した介護関係に勤めたいと考え、笠岡市のきのこエスポアール病院のきのこ老人保健施設に就職。 介護の現場を実践するなかで、東京都千代田区秋葉原のグループホーム設立も担当。 退職後もきのこ老人保健施設の外部役員をさせてもらった 【平成16年(2004年)】 NPO法人元気交流クラブたけのこの家設立 2年間きのこ老人保健施設で介護の修行をさせてもらった後、赤磐市桜が丘東に「たけのこの家」を作った。 「たけのこの家」は、高齢者デイサービスと会員制子育て支援センターを併設し、子どもからお年寄りまでのふれあいの居場所を作り、子育て支援を行う。 自分の人生の反省として、自分の心の中から湧いてくる本当にしたいことができる、 自立した人になれるように、子どもたちに自己肯定感を持ってもらおうと思い、事業を実施した。 団地で孤立しがちな子どもたちが、「たけのこの家」で大勢の大人たちとふれあっている。 「たけのこの家」は、全国的にも珍しいすばらしい取り組みということで、NHKで平成23年に全国放映された。 【平成21年(2009年)】 美作大学非常勤講師になる。NPO・ボランティア活動論の講義を担当。 (市議会議員になるまで担当した。) 【平成22年(2010年)】 山陽東小学校支援ボランティアコーディネーター (桜が丘小学校支援ボランティアコーディネーター) 世代がふれあう中で子育て支援を行うというコンセプトを地域に広げるため、 赤磐市で初めて山陽東小学校で学校支援地域本部(学校支援ボランティアの制度)を立ち上げた。 その後、桜が丘小学校・山陽北小学校にも学校支援ボランティア制度を広げ、 桜が丘地区では、現在300人を超える学校支援ボランティアが活躍している。 桜が丘小学校では、立ち上げの1年間コーディネーターをした。 【平成23年(2011年)】 任意団体さくら家理事 桜が丘地区でのワークショップを実施したことを経緯に集まったメンバーで任意団体さくら家を設立した。ふれあいの居場所「だべろうやぁ~」を毎月開催。平成27年9月からは、夢百笑さんをはじめ、地域の農家の方とコラボして、毎月最初の日曜日に野菜市を桜が丘プラザで開催し、桜が丘地区と農家の方との連携を行っている。 【平成25年(2013年)】 赤磐市議会議員初当選 1614票いただき、トップで当選。 所属委員会:総務文教委員会(~2015年4月) 産業建設委員会(2015年4月~) 議会広報編集特別委員長(2015年4月~) 【平成28年(2016年)】 赤磐市議会議員退職 赤磐市長選挙に出馬するため、平成28年9月29日を持ちまして、退職いたしました。 |
趣味 スポーツ |
バスケットボール(高校) アメリカンフットボール(大学) 現在、健康のためにコーラス(ビーエム混声合唱団)を行う |